【要約】

  • コミュニケーションについて語るとき、ハイコンテクストとローコンテクストという観点で語られることがある
  • 日本はハイコンテクストだと言われている
  • 日本はビジネスの場面ではローコンテクスト型のコミュニケーション能力を強化する必要がある

【本文】

ハイコンテクスト (High Context) とローコンテクスト (Low Context) について、書いてみようと思います。ハイコンテクストとローコンテクストって聞いたことありますか?

まずは、言葉の説明から。

  • コンテクスト (Context):コミュニケーションの基盤である言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性など
  • ハイコンテクスト (High Context):コンテクストの共有性が高い。
    伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境。しかし、その環境が整わないと一転してコミュニケーションが滞ってしまう。お互いに話の糸口も見つけられず、会話も弾まず、相手の言わんとしていることがつかめなくなってしまう。
  • ローコンテクスト (Low Context):言語によりコミュニケーションを図ろうとする。(見方を変えればコンテクストに頼った意思疎通が不得意とも言える) そのため、言語に対し高い価値と積極的な姿勢を示し、コミュニケーションに関する諸能力 (論理的思考力、表現力、説明能力、ディベート力、説得力、交渉力) が重要視される。

「KY」という言葉、聞かなくなったように感じます。死語ですかね。K=「空気」、Y=「読めない」で、「空気が読めない」という意味でした。
日本は、ハイコンテクストの文化だと言われています。上の説明「伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境」って、お互いの意図を察しあうことができないと、KYになってしまう感じでしょうか。

雑誌ダイヤモンドのオンラインサイトに、「落ちぶれるハイコンテクスト人材、台頭するローコンテクスト人材」という記事が載っていました。(https://diamond.jp/articles/-/186382)
この記事の中から、ハイライトしたい点は、

  • 日本は島国で人種的な多様性もないので、文化的には非常に入り組んだお約束ごとが幅広く共有されており、ハイコンテクストなコミュニケーションが多い

ということです。

そもそも、このハイコンテクストとローコンテクストを論じたのは、エドワード・T・ホール (Edward Twitchell Hall, Jr.) という文化人類学者です。1950年代の研究らしいので、かなり昔の研究です。
下図のように分析したそうです。(下図の出所: https://ssl.pan-nations.co.jp/column/226.html)

コンテクストは、言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性などのことですので、日本人と中国人は同じコンテクストではないです。

ところで、「日本人は全員同じ言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性などを持っている」という命題を作ったら、これは正しいでしょうか?同じコンテキストを持っている人もいるし、似たようなコンテキストを持っている人もいるし、異なったコンテキストを持った人もいるのではないでしょうか?そして、誰が正しいということではないと思います。詩人金子みすゞが綴ったように「みんなちがって、みんないい」のだと思います。
私が思っていることが正しいと仮定すると、日本人同士であってもコンテクストが多様化している今、ローコンテクスト型のコミュニケーションが必要になってきていると思います。

言い換えると、会議やワークショップの場で「空気は読めない」と私は思うのです。もう少し言うと、読めない空気を読もうとエネルギーと時間を使うのなら、もっと違うところに使うべきだ、と思うのです。
さらに、グローバル化を志向している、あるいは将来国外のパートナー企業・組織と協業する可能性があるという場合は、ローコンテクスト型コミュニケーションに対応していくことが必須だと思います。
コミュニケーションに関する能力 (論理的思考力、表現力、説明能力、説得力、交渉力など) を強化する必要があると思います。

お笑い芸人のパトリック・ハーランさんは、ログミーBizというサイト (https://logmi.jp/business/articles/126293)で、「ちょっと上と相談します」「持ち帰って検討します」というようなビジネスの現場でよく使われる名言しないお断りの文句は、アメリカ人には通じないと言っています。

以上の私の考えは、会議やワークショップといったビジネスの場面での話です。

プライベートな場面では、常にではありませんが、時として場の空気を読むことに一生懸命にならなければならない場面があると思います。

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